ご存知だと思うが、水の原価はほぼ無料だ。
そうすると、その水のコストは、
店の不動産代、流通代、人件費などがほとんどだということがわかる。
しかも、わざわざヨーロッパから水を持ってきて、高いに決まっている。
元々その商品とは本質的に無関係なコストがついていたものが、
安くなった、いらなくなったからデフレだ、不景気だというのはおかしい。
必要なものが、正しい価値に向かっているだけである。
不況だ、デフレだ、インフレが来るという人は山のようにいるけれど、
高速が安くなったし、山に美味しい水を汲みに行こう、という人はほとんどいない。
こんなに豊かな山河ある国なのに。
保健所の水質検査が大切なら、ちょっとした濾過ストローを持参すれば良い。
低価格戦争時代の生き残り策は、「低価格(だけ)で戦わないこと」なのだ。「ユニクロ=低価格」という図式を思い描く人は多いのだが、その思い込みは、あまりに古くて現状にあたわない。
「価値」と「価格」が正比例した関係を「バリューライン」という。「価格」は定量的絶対値だ。故に、工夫のしどころは「価値」を何と定義して市場に、顧客に訴えかけるかがキモになる。
日本のものづくりの根本的な問題
先日、前々から行いたかった ものづくり系の企画のキックオフMTG。
初回からいろいろと意見が飛び交い、刺激になった。
例えばアメリカではDIYが日本とは比べ物にならない規模で行われていて、また途上国では(全く違うムーブメントだが)最新のハイテク機器が手に入らない人たちが、自分たちで集めた既存の材料や機器を組み合わせて新しいモノを作り出している。
でも、日本では自分のモノは自分で作ろうというMake:的な動きはまだまだ少ない。せいぜいあっても、簡単な棚や机を作る週末の日曜大工ぐらい。
別に日本にはそうしたものが作れる素地がないわけではない。というか大いにある。東急ハンズに行けば、海外とは比べものにならないほどの材料がサクっと手に入るし、世界のシェアをかっぱらう日本の中小企業の匠の技なんてのもある。考えてみれば日本はとんでもないものづくりフィールドなのだ。問題はそれらのノウハウが全く個人レベルに落ちてこないところにあると思う。
もう1ついうと、”2DのDIY”は世界で類を見ない形で進化しまくっている。漫画だ。プロの作品数もさることながら、一般の人が書く漫画(同人誌っていうの?)の浸透規模は考えてみるとびっくりだ。年に1・2度東京ビックサイトでそうした漫画の見本市(コミケ?)があるそうだが、その規模は外国人が「ありえない」と叫ぶほどだ。
私もミニ四駆やレゴで育った人間なので、純粋に何かを作るというのは大好きだし、自分みたいな人間は少なからずいるんじゃないかな、と。そうした人達がもし自由にモノを作れるノウハウと技術を手にして、自分たちでクリエイティビティあふれるものを作り始めたら、日本のものづくりは根本的に変わるんじゃないかなと思う。
…とういう明るい未来を考えて、ものづくり企画を始めたのでした。
これまでRPG制作では、プレイヤーが操作する「プレイヤーキャラクター」(PC)の成長やシナリオの起承転結といった要素を作りこんでいくうちに大規模化してしまい、モチベーションが尽きて挫折してしまうケースが多かったという。そこで、Rmakeでは、成長などのゲーム基盤を共通化して、一発ネタや一点特化型の単発シナリオを短時間で制作できるようにした。
またRmakeでは、各ユーザーが作ったゲーム同士をリンクできる仕組みを備える。プレイヤーキャラクターは、プレイヤーのアバターとして設定して、全てのゲームで利用できる。ゲーム内容のリンクも可能で、例えば、あるゲームで「盗賊を100人倒した」場合に、別のゲームで「盗賊に恨まれてペナルティを受ける」といった仕掛けを作ることもできる。
つまりRmake全体がひとつのRPGとなって、ユーザーがみんなでシナリオを追加していけるようになる。akasata氏は今後も「Rmakeという大きなゲームをみんなで創っていく」方向性を進化させたいと話している。
リッツカールトンだったかどこだったか、うろ覚えなんだけど、そんな感じの有名なセミナーで、ホスピタリティの偉い人が言ってましたよ。
『ホスピタリティはあくまでお客様に対しての敬意であって、商売じゃないんです。
ホスピタリティで売上げを上げようと思ったら、社員は地獄をみますよ。』
すっげーウロ覚えなもんで、まったく正確ではないんだけども、意味としてはこんな感じのことを言っていた。
僕も超絶同意です。これ、本当に本当。
ホスピタリィでは売上げは上がらない・・・それでも
「それでも、我々はお客様に敬意を払いたいし、とことん大事にしたい」という組織だけが、本当のホスピタリィを持つことができるんだと思うな。
「金で買えるもの」の皿に
「金で買えないもの」を乗せるか、
「金で買えないもの」の皿に、
「金で買えるもの」を乗せるか、
どっちかがうれしい時代になっていくと思うんだ。
ふたつ目は、都市-郊外-農村といった「開発程度」の差の序列が組み替えられていく動きだ。低開発な地域にそびえ立つ広域型ショッピングセンターには、ビジネス的にも、そして最近では思想界隈でも注目が集まっているが、むしろ今年目立ったのは、都心部に向かって「郊外的なもの」が逆流するという現象だ。東京一のおしゃれタウンだった銀座には、グローバリゼーションを背景に世界中のファストファッションブランドが進出し、連日の行列だった。原宿のForever21や渋谷のH&Mもしかり。だが、そんな渋谷H&Mの向かいにはドンキホーテ、すぐ裏手にはブックオフ、少し駅に戻るとヤマダ電機が都市型店舗として展開しているLABIがある。
大阪の街を歩いていて思うのは、個性的なファサードの建物が多いなということなのだが、それはたまたま建て替えの時期が早かったということなのだろう。しかし近年の東京の再・再開発においては、一目見ただけでわかるランドマーク的な建築と、何の変哲もない郊外的な店舗が並んで「空き地」を埋めている。そして、都市に郊外が逆流する一方で、都市から撤退し、郊外や田舎で暮らすことを目指す人たちがいる。田舎暮らしそのものは今に始まったことではないが、(a)都会の喧噪を離れて「本来の自分」を取り戻す、というこれまでの傾向に加え、(b)自己承認を求めて地域コミュニティに参加する、(c)コミュニティビジネスの伸びしろを求めて移住するという例が目についた。いずれの場合においても、情報インフラ込みの田舎暮らしが求められているあたりは興味深いと思ったのだが。
「そうはいかん。道路だって空港だって電線だって、もうすでに飽和状態に近い。鉄鋼も石油も、もう供給過剰気味だが、それは成長の結果なのだから、当たり前だ。それなのに財政出動だ景気対策だといって、誰も通らない道路を造り続けるから、借金が増えるばかりで経済が上向かないんだ。もう立派な能力を持っているんだから、従来とは別の道を切り開くべきだ。つまらぬ安値競争だの派遣切りだのにうつつを抜かすかわりにね。」
--ムダな闘いをしない、というお話は分かりますが、そうすると、たとえば不利な新規分野や海外分野などから手を引くことも含めるんですね。
「ダメだと分かった事業をやめることは失敗ではない。ダメな事業を見栄張って続けることこそ、失敗なのだ。やめることの方が、勇気も努力もいる。それをやることこそ、マネジメントの仕事ではないか。」
--選択と集中、ということですか。
「やめる対象には、既存の本業も入っていることを忘れないでくれ。『選択と集中』という言葉はしばしば、かつての本業の成功体験にしがみついて、新たなチャレンジから手を引くことの言い訳に使われる。決断をしないことの言い訳だな。」
--手厳しいですね。
「もう、残されている時間は少ない。このままずるずると土俵を割っていったら、遠からぬうちに三流国に転落するよ。日本企業のマネジメントの最大の問題は、決断が遅すぎることだ。決めないリスクより、決めるリスクをとれ。それこそがただ一つ、生き残る道なのだ。」